氣づきとは、私の中では「悟り」です。
小さくても大きくても「氣づきが悟り」
言い方の違いだと思います。
氣づいたら(悟ったら)「丁寧に薪を割る」
ある方からのメッセージです。
この3次元の今の時代に薪を割ることも無く生活している人が多いと思います。
ですから、私的には、薪割が日々の生活と捉え、
悟ったからと言って、自慢をする、エゴになるのでは無く、
「丁寧に生きる」です。私自身意識しています。
本来小さいとか大きいとかの区別も無い世界です。
正しい、正しく無いのジャッジも無い世界です。
3次元の世界ではあたりまえのように使われていますが、それが幻想の世界でしかないのです。
そこに氣づくと、どれほど楽な生き方ができるか、
それがどれほど豊かであるかを知ります。
物質的な豊かさも幸せを感じる人もいるでしょう。それも良しです。
人それぞれ魂の成長が違い、魂のシナリオ(約束)が違います。
何をしに(体験・学び)この地球に降りてきたのか?
分からないからもがき、苦しみ、楽しみ、喜び、いろんな感情を受けます。
それが、経験と学びでしかありません。「自分が決めたシナリオ」です。
その経験一つひとつが、そもそも豊かさにあたります。
受け入れられない現状も自分の選択であり、自分が決めてきています。
その中で、どれほど「今の豊かさに氣づくことができるか」です。
今ある物、今出来ること、全てに感謝をして丁寧に生きる(生かして頂く)
自分の魂を生かして頂いている(経験・学び)だけです。
神・宇宙そのものとの約束のもと地球に降り立っています。
3次元的に肉体が滅びても魂は生き続きます。
輪廻転生を繰り返す魂もあれば、光の存在にしばらく戻る魂もあるでしょう。
ただ、光の存在でしかありません。「みな唯一無二の光」
ただ、光です・・・